本能のままに一銭にもならないものを作りたい
ヤバイ!
大体、欲しいモノは作ってしまったので、
2ヵ月前にレッスンに行った時に作ったくらいで最近、
ご無沙汰気味のカルトナージュではあるが、
今、もう、ムショウに、また、オサレな生地の取り合わせを考えまくり、
ひたすら、ボール紙をカットし、ボンドを塗りたくり、
も、作りたくってしょうがない。
や、別に、カルトナージュである必要はなかったのかもしれない。
こんな、本能(?!)を満たしてくれるのが、たまたま、
厚紙フランス工作のソレだったのかもしれない。
(それを、必然性というのか?!)
とにかく、ムショウに。。。。。。。ソイツを感じたい。
別に無償の働き、ボランティアに目覚めた、とか、じゃあ、ない。
仕事をしたら、お金は欲しいし、
お金が欲しくて、働いている。
でも、仕事が忙しかったり、
何か、仕事に関係することで目標があったりすると、
「そんなこと、してる暇に、○△◇のひとつでも出来るだろっ!」と、
ホントに山本さんがお書きになられているように、
どっかから、命令が降りてくる。
アタシは、一ミクロンの罪悪感を感じず、
ひたすら、本能のままに一銭にもならないものを、
ひたすら、ひたすら、作り続けたい。。。。。。
そして、そんな時間を、どんなに忙しくても少しはキープし続けたい。
大体、欲しいモノは作ってしまったので、
2ヵ月前にレッスンに行った時に作ったくらいで最近、
ご無沙汰気味のカルトナージュではあるが、
今、もう、ムショウに、また、オサレな生地の取り合わせを考えまくり、
ひたすら、ボール紙をカットし、ボンドを塗りたくり、
も、作りたくってしょうがない。
創作というのは、人間に与えられた大きな喜びのひとつである。
何かを作り上げるというのは、とても楽しいことだ。
特にそれが仕事ではなく、一銭にもならないものこそ、
その喜びは大きい。
若い頃、私は色々なものを作った。(中略)
特に誰も褒めてはくれなかったけれど、
寝食忘れ、その完成目指して熱中した。
しかし不思議と、恍惚とするほど楽しいのはその過程で、
完成してしまうとそれほど嬉しくはないのだ。
出来上がってしまったものは、わりとどうでもよくなってしまう。
それで適当な友達にあげることになる。
「私が作ったの」と言うと、大抵の人は
「わー、すごいね」と社交辞令を言って貰ってくれた。
陰でこっそり捨てていたとしても、それで構わなかった。
今でもそうだけど、何かの”作り方”が書いてあると、
むらむらっとそれを作ってみたくなる。
本能のままに一銭にもならないものを作りたい。
そして自己満足で作ったものを、
迷惑がられても人にプレゼントしたいと思う。
<「是日々作文」山本文緒>
や、別に、カルトナージュである必要はなかったのかもしれない。
こんな、本能(?!)を満たしてくれるのが、たまたま、
厚紙フランス工作のソレだったのかもしれない。
(それを、必然性というのか?!)
とにかく、ムショウに。。。。。。。ソイツを感じたい。
別に無償の働き、ボランティアに目覚めた、とか、じゃあ、ない。
仕事をしたら、お金は欲しいし、
お金が欲しくて、働いている。
でも、仕事が忙しかったり、
何か、仕事に関係することで目標があったりすると、
「そんなこと、してる暇に、○△◇のひとつでも出来るだろっ!」と、
ホントに山本さんがお書きになられているように、
どっかから、命令が降りてくる。
アタシは、一ミクロンの罪悪感を感じず、
ひたすら、本能のままに一銭にもならないものを、
ひたすら、ひたすら、作り続けたい。。。。。。
そして、そんな時間を、どんなに忙しくても少しはキープし続けたい。
